洗った厨概論~「水洗った?」に見る洗うことの本質~

 そろそろ寒い季節になってきましたね。いかがお過ごしでしょうか。

 

洗った厨~その本質への問い~

ニコニコで料理動画を見ていると、必ず出会うものがあります。

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洗った厨です。


 

ちなみにここで「火洗った?」というコメントが流れていますが、この後本当に火を洗って視聴者にドン引きされるシーンは必見です。

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http://www.nicovideo.jp/watch/sm17992218

 

そんな洗った厨コメントの中でも、定番かつ異質なのはこれです。

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「水洗った?」

 

 

洗うとは?

人間はそもそも歴史において、雑菌や汚れが病気を招くことを経験則的に学んでいます。

一般的には水で付着物を流すことで清潔な状態を作り、病気の予防にします。その行為を「洗う」と呼んでいるわけです。

そんな洗う行為が当たり前になった価値観が、現代日本の洗った厨につながります。

 

じゃあ、洗うための水は本当に清潔なのか?

 

 

水道水は本当に清潔か?

塩素消毒には悪影響があるんじゃないか?他にも不純物があるんじゃないのか?

井戸水なら清潔なのか?

ミネラルなら含まれていても清潔なのか?

じゃあ蒸留水を使えばいいのか?

そもそも水ってものは清潔なのか?

保存という観点で考えると水は不適切なんじゃないのか?

じゃあエタノールで洗えばいいのか?

もしくは厚生労働省による安全基準を満たしている水なら清潔なのか?その基準はどこから生まれたのか?1μgでも規定の量を超えたらアウトなのか?

 

洗うこととは何なのか?清潔とは何なのか?

 

何気ないコメントに見えて、洗った厨という自分たちの存在自身を疑っている。

本質的な問題提起をしているわけです。

 

 

また、界面活性剤(せっけん)を使う過程は本当に必要なのか?清潔なのか?

洗った手をタオルで拭くのは清潔なのか?雑菌のあふれたタオルで台無しにしているんじゃないのか?太陽光で自然乾燥させる必要があるんじゃないのか?

そもそも洗った手は清潔なのか?人間そのものは清潔なのか?体内にも体表にも雑菌なんて無限のようにいるんじゃないのか?

やっぱり人類を滅ぼすしかないんじゃないのか?地球から生命を消し去る必要があるんじゃないのか?

 

疑問は尽きません。

 

そんな風に気になって調べてみると、結構面白いことがわかります。

 

洗浄の歴史

まず、石鹸というものには結構な歴史がありまして、紀元前3000年頃にはもう確認されていたそうです。

石鹸の歴史 - 石鹸百科

石鹸の起源

人類初の石鹸は、紀元前3000年頃にできたと言われています。

古代ローマ時代の初めごろ、サポー(Sapo)という丘の神殿で羊を焼いて神に供える風習がありました。この羊を火であぶっているとき、したたり落ちた脂肪が木の灰に混ざって石鹸のようなものができたのです。その石鹸がしみ込んだ土は汚れを落とす不思議な土として珍重されました。

石鹸を作るには、「油脂」と「アルカリ」の二種類が必要です。この場合は灰がアルカリとして機能していたわけです。

 

そうして相当昔から様々な手段で石鹸が作られ、使われるようになりました。

 

高価なものなので、一般人はアルカリである灰汁そのものを石鹸の代わりに使うことがあったそうです。

 

 

日本でも高級品ながら、ポルトガルから持ち込まれ使われていたそうです。

大奥 | 白泉社

大奥 (よしながふみ)ではこんなシーンが印象的です。

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大奥内でインフルエンザが流行した時、サボン(せっけん)による予防効果が認められ、それをきっかけにサボンを持ち込んだ青沼の地位が上がっていきます。

 

 

Dr.STONE』では序盤の最重要物質として集められたのが炭酸カルシウムです。

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これを熱分解して酸化カルシウムを作ってなんやかんやして、石鹸を作りました。

そしてできた石鹸をDr.STONEと呼び、タイトルにもなっています。

 

ジャンプでタイトル張るくらいには、「洗うこと」というのは大事なわけですね。

 

 

 

その一方で、中世ヨーロッパでは洗うこと、もしくは「水に触れる」ことが不浄とされる時期がありました。体を洗うという習慣がまともに存在しなかった。

 

 1840年、ある医者が「医者は手を洗うべきだ」と提言しても馬鹿にされたそうです。

その医者がそんな提言をした経緯として

『医者が「死体の解剖」の直後に「産科」を、手も洗わずこなす状況で、もちろん感染症による幼児の死亡が多発した

みたいなすごい話があります。

 

 

今の価値観だとありえない話ですが、塩素消毒が実用化されるまでに当時手に入る水がどんな状態なのか、そこからどんな経験則と価値観が生まれるのかと考えると一概に馬鹿にできないのかなあとも思います。

 

 

 

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また別の話として、半導体部品を作る工場では徹底的な衛生管理が求められています。

ある工場はあまりにも清潔すぎて、せっけんすら汚いものとして使うことを許されないそうです。

 

 

また、化学の実験をするときには共洗いというものがありますね。

エタノールを量るための実験器具を水で洗ったら水滴が残るから、試料を正確に量れないよねって。じゃあエタノールで洗えばエタノールの水滴が残ってもいいよねってやつ。

 

 

 

 

何が清潔なのか?何が価値観なのか?何が基準なのか?

 

その状況次第で変わることがわかります。

 

 

洗うこととは何なのか?登場した二つの派閥を追う

結局のところ、洗うこととは何なのか。

目指す地点はどこにあるのか?

 

 

 

ここで一人の洗った厨が唱えたのがイデア論です。

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赤ん坊が生まれてくるときは、完全な無菌状態なんだそうです。

生まれてきた瞬間から、ありとあらゆる雑菌に晒されることになります。これらから身を守るため、善玉菌を常在菌として抱える必要があります。

 

そうして、安定した常在菌環境を手に入れ、一人で生きていけるようになった時、人間は生まれた時の持っていた本当の清潔【イデアを忘れてしまっているわけです。

 

本当の清潔【イデアに少しでも近づき、再び認識することが洗うことの最終目的である。現実に洗うことはその影を追っているにすぎない。

そう定義する洗った厨がいました。

 

 

 

 

また別の洗った厨は、四原因説を唱えました。

洗うことは質料因、形相因、起動因、目的因の四つの要素から捉えることができる、と仮説を立てられました。

 

 

 

様々な説が出て変化するなかで、大きく二つの派閥に分かれていきました。

究極の清潔を目指す洗った厨カトリック派、

洗浄はあくまで手段、安全性こそが絶対とする洗った厨プロテスタント

の二つです。

 

本質を求め、引き算をしていく

さて、二つの派閥が登場してきたわけですが、これにより当時は大混乱。

洗うこととは生きることなので、価値観を、基準を見失った世界で人々は本質的に迷うことになります。何を目指せばいいのか?何のために生きるのか?

 

 

 

 

そこで登場したのが、

 

 

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デカルト(1596~)ですね。

 

彼は、何が正しいかわからないのならその不確かなことを徹底的に引き算していけば本当に根本の原理が見つかるはず、と提唱しました。

 

彼の方法的懐疑論によって、洗った厨たちは思わぬ結論に辿り着きます。

 

 

 

まず不確かなことは何か?

「水は清潔である」という前提ですね。水に毒が含まれているか、雑菌が含まれているかが我々にはわかりません。そうすると「安全性」という観点が不確かなことになります。…

 

そうやって引き算を続けていくと、何も残らないんじゃないか?というペースですが・・・

 

・・・たとえ水の衛生面が疑わしくても、石鹸の有効性が疑わしくても、安全性が疑わしくても、その他の部分を引いていっても、一つだけ残るものがあります。

 

 

それは、「手」です。

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洗うときには、必ず手が存在しています。その手の感覚で、洗われたかどうかを確かめる。

 

我々が手で触って感じる「清潔感」という感覚だけは、切り離せない。

 

これが所謂「我洗う、故に我あり」です。

 

 

 

再定義しよう

つまり、

触って清潔感を感じるかどうかが洗われた状態かどうかの基準である。

こうデカルトは定義したわけです。

 

これはとんでもないことで、当時の二大派閥である、「完全な清潔」でも「安全性」でもないところに着地しました。

 

しかし、これによってこれまで説明できなかったいくつかの事実が説明できるようになりました。

 

 

 

 一つには、界面活性剤の存在意義です。

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界面活性剤は乳化作用により、水と油が混ざった状態を作ることができます。

これにより本来落としづらい、水に溶けない汚れを落とせる。

雑菌から身を守りやすくなります。

 

理屈ではこう説明できます。

 

 

しかし、だから安全だという理由で灰に落ちたアブラとか使う気になります?

 

使われるようになった理由は綺麗に洗った手に快感を感じたから

理屈でも経験則でもないはずです。

 

石鹸には本能に訴えかける何かがあるのです。

だからこそ5000年もの歴史を持っている。

 

 

こんな商品があります。

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花王株式会社 キュキュット

キュキュット』。

本能に訴えかける商品名です。王は洗うことの本質に気が付いていた。

 

 

 

もう一つ説明できることがあります。

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手指消毒液に関してです。

個人的に思うことなんですけど、これって消毒のはずなのに清潔感なくないですか?手を洗った後これを付けても、少なくとも綺麗になった気は全くしない。

 

成分を見ると、エタノール、保湿剤、水などが入っています。

エタノール水溶液は水より粘性率が高いこと、保湿剤が入っていることなどから、付けた時手に違和感を感じていると推測できます。

 

 このほかにも、様々な課題を解決するきっかけとしてこの理屈は活躍しました。

 

 

 

 

洗った厨の課題とこれから

もちろん既存派閥からの反対意見はありました。

あくまで手を基準にすると、

・ゴム手袋をつけて洗うこと食器洗い機で洗うことは疑似的に洗った状態を再現しているだけなのではないかという指摘

・液体の粘性率に焦点を当てたとき、乾燥したか否かで感覚が変わることがありうるという指摘(ジェットタオルのジレンマ)

などの課題は浮上しました。

 

しかし、これまで説明がつかなかったいくつかの現象を一貫した理屈で説明できるということで、この理論はある程度受け入れられるようになり、現在では主流の考えとなっています。

 

 

このほかに異質な派閥としては

わたあめすら洗うアライさん派

www.nicovideo.jp

 

ダニアースで洗ったと主張するハイボール

www.nicovideo.jp

 

あとイギリス系の国では食器用洗剤を流さないまま乾かすとか。

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これらに関しては一切説明できないことなど、まだまだ課題は残っています。

これからも引き続き研究を進めていきます。

 

ちなみに

文部科学省による食品衛生のガイドラインとしては、洗浄の、特に除菌という工程には「物理的洗浄」と「化学的洗浄」の二種類があるとされています。

 

石鹸で汚れを流して、ちゃんと殺菌する。

これからの季節大事なことです。

 

皆さんも家に帰ったらちゃんと手を洗って、風邪などひかぬよう気を付けてください。

おわり